武田鉄矢さんが落ち込んでいたときのお母さんの名言
貧乏くさい顔をするから
厄病神が離れない
乾杯して大騒ぎしていれば
厄病神も逃げていく
武田鉄矢さんの名言
誰かのために、何かしないと
自分が支えられなくなってくる。
<コメント>
武田鉄矢さんもお母さんも、かめばかむほど、味のある人、味の出る人、おもしろい人生を歩める人、そして、愛情深い人。そんな印象です。
福岡市立板付小学校、三筑中学校、福岡県立筑紫中央高等学校卒業。1浪を経て、福岡教育大学教育学部小学校教員養成課程に入学するも中退(正しくは除籍)。
1972年10月25日に、千葉和臣・中牟田俊男らと海援隊でデビュー。当初は全く売れなかったが、武田が母・イク(1998年死去)に向けた詫び状を歌にした「母に捧げるバラード」(1973年)がヒットし、翌年の第31回NHK紅白歌合戦に出場。
その後はしばらく低迷したが、映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)でのさえない青年役が高い評価を得て俳優としての新境地を開拓。海援隊としても再び注目され、ドラマ「3年B組金八先生」(1979年)のヒットとともに主題歌の「贈る言葉」も大ヒットした。1982年12月、海援隊を解散後はソロ歌手・俳優・作家として活動。歌手活動としては、「男と女のラブゲーム」(芦川よしみとのデュエット)(1987年)、「声援」(「3年B組金八先生」第3シリーズ主題歌)(1988年)などのヒット曲がある。海援隊は1993年4月10日の「ドリームライブ in 福岡ドーム」のために1日だけ再結成され、翌1994年に本格的にグループとしての活動を再開し、現在に至る。
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