名言格言ことわざそして感動 長嶋茂雄さんの名言
1974年の引退セレモニーでの名言
「わが巨人軍は永久に不滅です」1996年には最大11.5ゲーム差をつけられた広島を逆転しリーグ優勝したときの長嶋茂雄さんの造語
メークドラマアテネ五輪チームの長嶋茂雄代表監督が選手にいった
名言『君たちは野球の伝導師たれ!』<コメント>
特に、伝導師たれの
名言は、長嶋茂雄さんだからいえた名言であり、他の人ではいえないし、いっても誰もその
名言を素直に受け取らないでしょう。今でもその時の選手たちは、長嶋茂雄さんの言葉を守り、子供達に野球を教えています。病気は回復されているようですが、野球界の為、社会の為にまだまだがんばっていただきたい人です。あるテレビ番組で息子さんの長嶋一茂さんは父である長嶋茂雄さんのことを『長所の上に長所を重ねて生きてきた人だ』とおしゃっていました。おもしろい表現だけれど、なるほどと思います。

長嶋茂雄さんについて高校野球界では無名の高校出身であったが、練習試合で訪れた埼玉県熊谷市内の球場で、その素質をプロスカウトに見いだされてはいた。
1954年から1957年まで東京六大学野球で立教大学の選手として活躍。
1958年〜1974年までプロ野球チームの読売ジャイアンツ(以下、巨人と記す)で三塁手としてプレイした。
現役時代は読売の中心選手として活躍した。背番号3は巨人の永久欠番のひとつである。
現役引退後、1975年から1980年まで(背番号90)と、1993年から2001年まで(1993年〜1999年は背番号33、2000年・2001年は背番号3)に巨人軍の監督を務めた。2001年より、株式会社よみうり専務取締役・読売ジャイアンツ終身名誉監督に就任した。
2002年に2004年アテネオリンピック野球日本代表チーム監督に就任したが、2004年に脳梗塞で倒れて指揮することを断念した為、その後は中畑清ヘッドコーチ(肩書きはそのまま変わらず)に指揮を託した。
愛称は「ポチ」「チョーさん」「シゲ」「ミスタージャイアンツ」「ごまぞう」「父さん」。東京のマスコミは、「ミスタープロ野球」もしくは単に「ミスター」と呼ぶこともある。『ミスター大満足』と東京のスポーツ新聞の見出しにあれば、長嶋茂雄が大いに満足したという意味である。
1959年、石原裕次郎(故人)が歌った長嶋の応援歌「男の友情背番号・3」が発売された。2000年には「ミレニアム・バージョン」として再発されている。
※1993年の2度目の監督就任以前、「長島」あるいは「長嶋」と姓の表記が揺れていた。この項での表記は長嶋に統一する。
タイトル・表彰
首位打者 6回 1959年-1961年、1963年、1966年、1971年
最多安打 10回 1958年-1963年、1966年、1968年、1969年、1971年
最多本塁打 2回 1958年、1961年
最多打点 5回 1958年、1963年、1968年、1969年、1970年
新人王
1958年
MVP 5回 1961年、1963年、1966年、1968年、1971年
ダイヤモンドグラブ賞 2回 1972年-1973年
日本シリーズMVP 4回 1963年、1965年、1969年、1970年
ベストナイン 17回 1958年-1974年
入団した年から引退した年までベストナインを受賞し続けたのは、日本球界では長嶋のみである。
上記コンテンツ長嶋茂雄さんについては、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用